目ずらし記事

mezalaのブログ

VZマクロの諸相

 めずらしきこと。
 脚を怪我して犬の散歩にも行けない。娘が不承不承ながら代行してくれるわけだが,その娘は自動車運転免許取得中で,大きな車のシートが身体に合わないのか,腰が痛いらしい。腰が痛くば歩けばよい。骨盤矯正ウォーキングが有効である。
 さて,暇を持て余していても,特別何をしようという意欲も湧かないので,「小物マクロの住所録」プロジェクトを継続。1992年1月分,今から17年前の記録である。倅が生まれる前の年だ。当時生まれていなかった倅は既に高校生である。
 ログの中に敬愛するm.gann師の次の言葉があった。

 念のために申し添えておきますが、私はVZのマクロも、立派なソフトだと考え
ています。作者としての思想をも十分に表現することができるからです。

 深い意味を持つ言葉である。
 VZのマクロ言語は,もちろんEmacsなどのそれに比べればひどく貧弱である。一般に期待されるフロー制御は不完全であり,ユーザ変数は数も限定的ですべて広域という枷がある。それでも編集コマンドやシステム関数が十分に用意されていて,より短い記述で即座に実行させることのできる利用者親和性は他の言語にはなかなか見られないものだ。
 このようなマクロ言語を実装したテキストエディタはもう現れないのであろうか。某所ではVZマクロ互換言語搭載のWindowsエディタに関するアンケートなども実施されているが,それはあまりにも遅すぎただろう。コンバータを実装しているエディタがメジャーになれば,いくぶん流れも残ったような気もするが,結局作る楽しみを味わうことなく使うだけ・消費するだけの「人」が溢れている現状では難しかろう。
 一番望ましいのは…
 いや,やめておこう。