目ずらし記事

mezalaのブログ

イケ子への手紙

 めずらしきこと。

 この春に異動したイケ子が,新しい職場になじめないとメールを寄越した。イケ子はこの数年の間に口角を下げて喋る癖が付いてしまっていた。
 その癖を直させようとしていたのだが,「まだ口元は曲がってますか」などと自覚がなく,さらに悪化しかねない状況のようなので,次のメールを送ってみた。

 左右対称なので,曲がってるとは言わない。
 2年前の4月は,びっくりした。一体どうしちゃったのだと思った。ピグモンジョーズどころか,まるでHEADのロゴだと思った。こういう話し方しかしない職場環境に居続けたからだな,と思った。なんてことだと思った。うちの娘を連れてサクランボを届けに寄った頃のイケ子は,どこに行っちゃったんだと思った。苦悩と苦笑いしかない職場で,正露丸を嘗めて過ごしていたんだなと思った。自分がここに来た意味は,この娘を更生させることだと思ったのだ。(んな,大袈裟な)
 その使命は苦難の連続だった。以前以上に苦悩の日々しかないように思われたからだった。だが,わたしにはカーボン鋼オートメールの右腕があったおかげで,このミッションを徐々にだが着実に進めることができたのだった。幸いにも,少なくとも仕事の話をするとき以外は,ロゴにはならないようになってきていた。だが,仕事の話をするときは,2年を経ても直らなかったなと3月末に思った。
 鏡を目の前に置いて話しなさい。本物の鏡とは言わない。実際そんなことしたら,変なオバサンになってしまうから,イメージの鏡を常に置くのです。みんなそうしてる。まさか,なんて思ったらオンナを捨てている証拠だ。みんな黙って実践しているんだから。それができないなら,ジャバ・ザ・ハットにでもなるべきだろう。近ごろは男だってやっていること。それが自然じゃない,キモい,などと思うのであれば,アンコウが何を考えて暮らしているか考えるがいい。なにも考えてはいない。光も届かない暗い海の底で自分の姿を見たことがないからだ。自分の存在について何も自問することがないなら,それは逆の意味で自己中なんだ。自分が張り巡らした透明なシールドにくるまれて,他人と他人を比べて過ごしているんだから。
 さぁ,そのシールドをやぶいて人を見よう。そして,他人のいいところを誉めまくろう。そうすると,他人も自分を評価してくれるようになる。そのうちの一部の人は真にイケ子を想い遣って辛口の批評だってしてくれるようになるかもしれない。
 これが,わたしの今季最後のミッションである。
 元気に暮らしたまえ。(おいおい)

 イケ子からは「戒めのためにメールを保存しました」と返事が来た。