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mezalaのブログ

長崎は今日もハレだった(7/29) その3

 めずらしきこと。
 パークサイドホテルに到着。ホテルに駐車場はなく,向かい側にあるタワー駐車場に入れるのだという。タワー駐車場を使うのは1980年以来だ。ゴンドラの枠に頭をぶつけながら,ここで急に動き始めたらみんな死ぬな…などと余計なことを考える。昔と違って,最近のものはセンサーくらいあるのだろうか。パークサイドのパークとは平和公園のことであろうか。原爆資料館にほぼ隣接しているような立地のホテルである。

 原爆資料館を時間をかけてじっくりと観覧する。平和教育は絶対に必要だ。半世紀を経て米国世論はいまだに原爆投下の正当化に傾いたままだという。しかも当の日本人が馬鹿げた核の傘論に安閑としているのだ。日本が核攻撃されたときに米国が報復の核攻撃をしてくれるだと? 誰がそんなことを信じているのだ。過去に核攻撃を受けた国である以上,何度核攻撃されようが世界で唯一の被爆国である。被爆国の烙印は何度でも同じ箇所に当てられるだけだ。
平和祈念像



 原爆資料館で細かな知識を得ると,長崎の街の見え方が変わってくる。どんなに美しい公園になっていようと,どれほど緑ゆたかであろうとも,爆心地はえぐられたままの地形である。爆心地の公園から平和公園に向かう。暑くて階段が長く感じる。しかも階段が終わったと思った先にまた階段があった。階段を登りきると大魔神御神渡りのごとき噴水の間から平和祈念像を望んだ。十日後に平和祈念式典を控えて,その準備がおこなわれているが,力道山がモデルと聞いた像の静かな表情はそのままである。
浦上天主堂

 平和公園から谷の向こう側の高台にある浦上天主堂を目指す。近くに見えながら結構な距離があるようだと見た妻は,この時点でだいぶ疲れていたらしい。到着してみると教会の扉は閉じていて,どうやら17時で公開は終了した様子である。奇麗なステンドグラスを見るのを楽しみにしていた妻は,本当に残念そうにしていた。
 疲れに残念な気持ちが加わって,妻の足取りが重くなる。方向だけをたよりにホテル方面に向かって道を探しながら歩いてゆくわたしと家族の距離がずんずん開き,上り坂をちょうど登りきったころ倅が走って止めに来た。九州の夏の暑さも坂の多い土地にも慣れていない関東平野中央の人間にはなかなかこたえる。
 日本の最も西に位置するため,まだ陽が低くはなかったが,それなりの時刻になっていた。少し早いが夕飯にすべくホテルの近くの宝来軒別館に入る。ここではソボロチャンポンと杏仁。実にオーソドックスな味に感じる。もうちょっと舌が肥えていれば,もっと深い味わいがあったのかもしれないが,何せ貧乏舌につき美味しいとしか言えない。