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「われも子なれば」を聴く

めずらしきこと。

秋元松代―希有な怨念の劇作家

秋元松代―希有な怨念の劇作家

今日は,劇作家・秋元松代の忌日である。生涯に数十にも達する幾多の演劇賞を受賞した秋元は異端の劇作家として著名だが,相当な数のラジオドラマの脚本を書いた。それらのドラマのうち,秋元が手がけた最後のラジオドラマである「われも子なれば」を聴いた。
われも子なれば
秋元松代:脚本.
大八木健治:効果,長谷川忠昭:技術,樋口礼子:演出.(NHK東京)
出演:森塚敏乙羽信子,森幹太,奈良岡朋子. 演奏:[さとうそうごろう],[まるやまいわお](民謡). 協力:天台宗立石寺夜行念仏講保存会.
初放送:1975-10-10{R1文芸劇場}, 再放送:1977-07-30/1992-05-04{R1ラジオ深夜便}.
モノラル 55分
1975年文化庁芸術祭優秀賞[奨励賞?].
死者の霊をなぐさめる夜行念仏講にまぎれこんだ中年と老年の二組の夫婦の亡き子への情愛と,老いてゆくものの孤独を描く.

膨大な数の脚本を書いた秋元は,ラジオドラマを書く前は非常に困窮していた。後年,劇作家として自立する以前にラジオドラマに関わったことにより,健康でたくましい無名の民の活力を知って自身の成熟を促すとともに生活の糧を得ることができたと述べている。ユーモラスに自嘲を込めた随筆「あぶない窓際」で,生活の困窮の具合を赤裸々に語っているので一部引用してみよう。
曰く,

今では人も覚えていない話になったと思うが,私がラジオドラマを書き始めた頃は『近頃の劇作家はすぐ堕落する』と言われた時代だった。その頃の私は,近所の家に電気会社,ガス会社,そのほかの集金人の声がすると,すばやく表戸に鍵をかけ,草履を持ってすばやく街の方へ逃げ去った。下駄や靴では音がするので窓のそばにはいつも古草履を置いた。しかし集金人は留守ならば何度でも来るのだから,私は何回も窓から逃げなければならない。落ち着きのない暮らしである。それよりは堕落のほうがよいと思った。

相馬庸郎著の評伝「秋元松代−希有な怨念の劇作家」は非常に詳しく書かれたもので,大変な労作であるが,誤植が多すぎることは残念である。