屋根にアンテナを上げる
めずらしきこと.
電気屋さんに頼んで屋根の上に地デジアンテナを上げた.
…今頃何を?…という感じなのだが,これまでは自力で二階壁面に平面アンテナを設置しており,これを置き換えるアンテナを設置したということなのだ.
自分は,どこの家でも屋根に上がっているアンテナが如何にも景観を壊していると思っていて,地デジ放送が始まるという頃,これでようやく室内アンテナくらいで受信できるものと期待してしまったのだ.しかし,その期待はUHFアンテナを上げねばならないという状況によって完全に裏切られてしまったのである.それでもウチだけはアンテナを上げたくないとアレコレ考え,平面アンテナを壁面に設置したのだった.
設置に関しては,結構苦労した.モルタル外壁に太い木ねじを二本入れなければならず,かと言って,どこに柱があるのか外観からはよくわからないし,柱を連結する金属プレートにぶち当たったらアウトである.外壁は水の侵入など防がなければならないので,無駄な穴は開けたくなかった.とは言え,悩んだは悩んだが最終的にはカンで空けることになる.結果オーライだったが,なかなか緊張するものである.
その後は二階の天井裏にもぐってケーブルを這わし,VHF時代に使っていたブースターを交換し,なんとか映るようになった.しかしながら,電波が弱くてNHKでブロックノイズは出るわ,地域局は見られないわ,猛暑の季節に屋根裏に潜り込んでケーブルを這わせたことがほとんど報われていなかったのである.そして,その後何年もの間,家族に責められ続けてきたようなものだ.
せっかく上げる以上は,Tokyo MXが見られるようにしたいと思い,とにかく一番性能のよいアンテナを上げてくれと電気屋さんに頼んだ.「カネに糸目をつけない」などと不遜なことも口走ったものだから,やたら大きく鳥足が何十本も付いているような奇怪なルックスのアンテナが猛禽のごとく屋根の上から下界を睨めつけている.
これこそが景観を壊すものの典型だと,つくづく思った.
母が逝く
かなしきこと.
12月のはじめに嚥下障害により食事がとれなくなって入院した母が,96歳の生涯を閉じた.
父の存命中は,認知症の進んだ父の世話を一人でしており,非常にしっかりしていたのだが,父が亡くなって以降,急速に認知症が進んでしまい,数年前から家族すら認識できない状況にあった.あの,しっかりした母の印象が強すぎて,障害の生じた母を見るのがひどく苦しく辛かったのだが,いざ逝ってしまうと,自分や家族を認識できなくても,もっと色々と話しておけばよかったのではなかったかと思う.
母は,所謂お嬢様育ちで,片田舎のしがない教師の家に嫁に来てから,やったこともない野良仕事に精を出し,貯蓄に勤しんで,町内のどこの家より早くテレビを買い,父の念願だった家の新築もとげた.良妻と言えるのだろうが,その一方で子供を他家の子と比べる育て方しかしなかったし,人の悪口しか言わないような人だった.負けず嫌いだったのだろう.そういった意識が表に出すぎていて,そんな母の姿は自分の目には……(以下自粛)
母は何をするにも手を抜いたことがなかった.何をするにも一生懸命だった.そういう所や負けず嫌いという性格は,まったく自分には遺伝しなかった.是も非もないが,やや寂しい気もする.
今日は,ひどい風の日だった.
あたかも強い風の中を生きてきた母を象徴するような日だったと思う.ある意味,ふさわしい天候だったと言えるかも知れない.
裏庭とセキレイ
めずらしきこと。
ここ何年か連作を嫌う馬鈴薯を作っていなかったので,今年は久々にやろうと思い立ち,先週種芋を買ってきた。例年よりも農作業の開始時期が早いが,やるからには何とか二月中に植え付けをしたいのである。
ただ,あまり欲張ってもどうせ元が取れないので,男爵を3kg,メークインを1kgにとどめておいた。
加えて,今回は草木灰を準備できなかったので,それも一袋。塵芥の類が100円とは畏れ入るが,なかなか焚き火もやりにくいご時世なので是非もない。今年中にとしき氏に教えてもらったウッドガスストーブを自作などして,草木灰の自給にもこれ努めなければならないだろう。忙しいことである。
昨年修理した耕耘機を繰り出して,3坪足らずの場所を耕した。しばらく使っていなかったところであるし,隣の区域の甘藷を手入れする際に踏み固めてしまったうえにそのツルを放置していたようなところなので,なかなか深くは耕せない。それでも流石に機械だけあって2刻ばかりで返した。
耕耘機をかけている間,例によって耳聡い鳥がエンジン音を聞きつけて飛んできた。土中から追い出された芋虫が目当てである。
暖かい季節ならムクドリが集団でやってくるのだが,本日はセキレイが一羽のみ。ずいぶん一生懸命になって餌を探していたが,気の毒なことにあまり収獲はなかったようである。虫も冬眠中はもっと深場にいるのではないだろうか。
田村みかん
めずらしきこと.(ひと月以上前の記録である)
昨年末に蜜柑がなくなったところに,「年内発送まだ間に合います」という文字が目に入って〈ポチ〉したところ,元旦の朝に届いた.配達が予告された時間帯は近所の本家に年始に行っているころだったので,玄関の呼び鈴の下に,この時間帯はどこそこの本家にいる旨の張り紙をしておいたら,本家の方に届けに来てくれた.さすがのクロネコさんである.本当に正月から配達なんて大変なことであり,頭が下がるのであるが,こんな客がいるから彼らが正月を自宅で迎えられないのだと思うと何とも複雑な気持ちになるのだ.
さて,唐津のうまか美人に迫れるかどうかが問題の,有田の田村みかんであるが,味はもう一息というところである.悪くはないが酸味甘味とも少々薄い感じだった.70点というところか.まぁ,比較的高得点と言えるだろう.
和歌山有田産 ”田村みかん” 秀品 超小粒3S 約5kg 産地箱 2,980円を,70ポイント利用で2,910円也.
産地箱の内側の蓋にイラスト地図が印刷されている.周辺の名所旧跡も描かれ,地理の勉強にもなる.有田が白浜よりもずっと和歌山寄りにあることを初めて知った.これまでは紀伊半島の南端にあると思い込んでいたのである.
以前,熊野古道を歩きに行ったときに,那智勝浦から白浜空港に向かう途中で「有田」という地名を見たような気がしていたからだ.どうにも気になって地図を確認すると,紀伊半島南端の串本の西に紀伊有田という駅があるではないか.なんと紛らわしい.
蜜柑の有名な方は,「ありダ」と言わなければならないのか.これも知らなかった.